性別不合の福祉系大学生、みめいのメンヘラ日記

家族の理解が得られないMtFです。これからどうなることやら……

周りと比べて病みがち

こんばんは。

みめいです。

今日は近くで可愛い同級生たちが楽しそうに話しているのを見て、思わず自分と比較してしまいました。

私の場合、誰かと比較すると止むこと間違いなしなので、そういうことはやらないようにしているのですが、「ああいう輪の中に入っていける気がしない」とか、「自分の作った声だとものすごく浮きそう」とか「見た目が終わっているから溶け込めなさそう」って考えてしまいました。

こういうふうに書き出すとよくわかるのですが、本当にネガティブなことばかり考えてしまいます。

実際にやってみない限り、そういう輪に溶け込めるかどうかわからないにもかかわらず、なんか自分ごときにはできなさそうと思ってしまうのです。

そういう思考に取り憑かれたら最後、その後数時間は死ぬ方法とかを検索したり、タイミングや場所について想像を巡らせて、体も心も重くなってしまいます。

なんとかそういう状況を抜け出せたとしても後味は最悪。

集中力が切れるまでそういう思考をしてしまうので、その日はもう頭がうまく働きません。

私はいつも頭がギューッと締め付けられるような痛みを感じているのですが、そういうときはその痛みがこれでもかってくらい悪化して、ついでに背中と肩がバキバキに凝ってしまいます。

今日もそういう思考に取り憑かれてしまい、お昼休みから5時間位死ぬことばっかり考えていました。

なんでそういうふうに考えてしまうのかについて、私は私のことを過小に評価しているのかも知れないと考えました。

私の大学での姿は、提出物をきちんと提出して、テストでもいい成績を取るようなしっかりした子だと以前に同級生から言われました。

でも、私の認識ではそんなことはなくて、授業中はずっと死にたいとか考えているし、提出物は怒られるのが怖くて出しているだけ、テストは暗記アプリを使わないと終わるようなただのメンヘラ。

大学での姿だけでもこれだけ周りの評価と自分の評価が違うので、日常生活全てについて考えるとかなり違ってくると思います。

こういう認知の歪みみたいなものをできるだけなくしていく必要があると考えています。

どうやって認知の歪みを直すか考えたときに、まず思い浮かぶのが認知行動療法

自分の行動と気持ちを書き出して、違う視点からそれを解釈することで視点を広げるというものです。

実際にクリニックでやってみるのもいいですが、私はお金を使いたくないし、精神科のソーシャルワーク専門職の卵なので、このブログを使ってやっていこうと考えました。

これからは、その日印象に残ったことを書き出して、その時どのように考えてどのように思ったのか、違う見方はできないか、違う見方をすることで解釈がどのように変わったのか、これからどうするのかについて記事にしていきます。

いつの間にか記事がソーシャルワーク記録みたいになってて笑うしかない。

今度の実習では実習記録を書くのが異様に上手くなっているのかも知れませんね笑